ストーリーはマスターキートン風です。ウクライナ人『東欧』とイタリア人『西欧』の格差社会、
拉致同然に集めた女性達を陵辱して、妊娠させ、
子供を裕福な家庭へ養子縁組させるという信じられない『女は産む機械』なビジネス。
この話は実際イタリアであった事件にヒントを得てトルナトーレ監督は作ったそうで
こんな酷いことが行われていいのかという憤りと主人公のイレーネの悲哀の中にもあふれでる
実の娘かもしれないメイド先の娘への愛情が丁寧に描かれてます。
冒頭のショッキングなシーンというのは、道化めいた仮面をかぶせられた下着姿の女たちが
数人ずつ肉体を値踏みされる「オーディション」シーン。
容易に『ソドムの市』を連想できます。
やがてイレーナのアダケル家への関わりがエスカレートするにつれて
ウクライナ出身の彼女の過去が徐々に明らかになっていくのですが。
それをうかがわせるシーンはイレーナのトラウマとともに頻繁にフラッシュバックする形で
暴力的に挿入され、その断片をつなぎ合わせるだけでもかなり本格的に撮られていることがわかります。
まあ話の本題はそこにあるのではなく、
そんな陵辱されて産んだ娘にさえ、母性愛は宿るということで
必死に突き止めた養子縁組先に、先にいた老家政婦を螺旋階段から突き落としたりと危険な橋を渡り
見事、家政婦に採用され、防衛本能障害という病を患い傷の耐えない娘と接近し、交流を深め
ラストの感動的な再開へ至るところにあるんだが。
イレーナがテアの手足を紐で胴体に縛りつけ(日本語字幕によると「サラミごっこ」と訳されている)
訓練するアクションは、特に重要なシーンで、最初は楽しい遊びと思ってたら
徐々に真剣になり、最後にはママにいってクビにしてもらうと泣き叫びながら
本気でぶってくるまでになった実の娘への生き抜く為の術を教える愛情が伝わってくるシーンである。
あたかもかつて自分の身に起こった恥辱を再現するかのように(フラッシュバックが挿入される)
身動きのとれないテアをくり返し突き倒すのである。
生まれつき防衛本能障害のあるテアは、転んでも手をついて身を護ることができない。
ゆえに同級生からのいじめに抵抗する術を持たないのだが、
イレーナはそれを許さない。ともすれば虐待行為ともとれる映像は、
彼女の受けた拷問的な乱交体験と同じようでいてまるで別の意味を持っている。
養子先の母の壊れものを扱うような細心の注意を払い大事にされる
育て方とスパルタ式特訓で生きる術を身につける育て方は
どちらが一概にいいとはいえないが、後に母親が不慮の自動車事故で亡くなった後の
金細工工房の経営者の自由放任主義な父との生活においては
イレーネのスパルタ主義が役に立っただろうという事は言うまでもないだろう。
たとえ、テアが実の娘ではなくとも、テアにとってイレーネは生涯忘れえぬ人になったことは間違いない。
だから、出所後の感動の再開へと繋がったのだと思う。
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